(記事作成2022..7.18更新2022.7.18)
カメラを始めた最初のころ、本やネットで構図について調べまくっていた。
しかし、実際に撮ろうとしたとき
- この景色はどの構図で撮るのが良いのだろう・・・
- パターンがありすぎて、どの構図を選べば良いの・・・
- セオリー通りに二分割構図で撮ったけど、なんか微妙・・・
と、なかなか学んだ通りのものは撮れずにいつも悩んでしまう。
しかし、試行錯誤していくうちに「ある基準」を自分のなかで設けたら、写真がどんどん楽しくなっていった。
技術的なことは語らないので、お気軽にご覧ください。
写真の構図についてぼくが思っていること
三分割・二分割・日の丸・対角線・・・など、いくつもの構図があるけれど、それらを意識しながら撮ったことはない。
では、どうやって写真に臨んでいるのか?
これ気持ちいい!! と思えれば合格
写真を撮りカメラのモニターで確認して
「あ、これ気持ちいいな!!」
と思えたら、納得いく一枚を収められた証拠。これがぼくの基準となっている。
どの構図で撮るとかというより、自分のなかの『これ気持ちいい!!』と思えるポイントを探りながら撮っていくという具合だ。
撮る流れとしては、
被写体がいちばん魅力的に輝かせるにはどうする?
↓
被写体の上下左右を観察
近寄る・遠ざかってみる
↓
逆光・順光のどちらが良いか?
↓
使用レンズを決める
↓
自分がときめくポイントを見つけ、
納得いくまで撮る
という感じで、それぞれのフェーズごとに「気持ちいい」を探る作業を楽しんでいる。
上の写真は、木の位置は真ん中よりも左にずらしたほうがほうが落ち着くので、心に従って忠実に撮ってみた。
日の丸・三分割というのはまったく意識せず、自分の「気持ちいい!」のままにカメラを向けている。
もちろん方法は人それぞれだけど、
『どの構図で撮るか?』で考えるより
『被写体が輝けて、自分が気持ちいいポイントはどこか?』に重点をおくと、自然に納得いく構図に仕上がっていくと思う。
どう撮るかは無限大
ときたま、
- ○○構図はシンプルすぎて写真にはならない
- 風景写真は○○構図で撮れば大丈夫!!
という意見があるけれど、そこまで気にしなくて良いと思う。
パターンごとに撮影方法や構図を決めつけてしまうと、いざ撮ろうとしたときに固定観念が邪魔をして納得いくような一枚は狙えないからだ。
もちろん、知識として正攻法な構図を知っておくことはとても大切なこと。
しかし、あまりにもセオリーにこだわりすぎて自由に撮ることを忘れてしまっては本末転倒だ。
日の丸だろうが三分割だろうが、それはあくまでもひとつの撮影方法にすぎない。
趣味であればもっと自由に伸び伸びと、ガチガチに教科書通りでなくても良いではないか。
大切なのは自分のトキメキや高揚感に沿って撮ることであろう。
少しくらい構図がおかしくても、本人が納得して楽しみながら撮った写真はとても温もりを感じる。
反対に、構図絶対主義だとあまりにも完璧すぎて、ぼくはちょっと引いてしまう・・
意図的なら「白トビ」や「ブレ」てもOK
露出がオーバーした真っ白な写真や被写体がブレたものは失敗とされるけど、本人が意図的に表現したものであれば良いと思う。
一般的には失敗写真に分類されるものだって、個人の趣味なら構図や露出はすべて自由に無限大の選択肢がある。
まずは自分が納得すること。めいっぱいに楽しむこと。たくさんの「気持ちいい」を見つけること、趣味はこれで良いと思う。
もちろん、他人に迷惑をかけない範囲で楽しむのは絶対だ。
常識の枠内であれば、セオリーに捉われず自由に撮って良いだろう。
優等生のようにセオリーに沿って100点満点の構図や撮影方法もありだけど、
構図がめちゃくちゃでも、本人が楽しみ納得していればそれはとても良い写真だと思う。
趣味写真に正解はないので、個人個人の「これは気持ちいい!!」に忠実になればいい。
「この場合は○○構図で撮る」と決めつけず、心のままに撮っていたらそれがたまたま○○構図だったというパターンのほうが納得いく一枚になると思う。
まとめ
今回のことまとめると
- 自分の「これ気持ちいい!!」ポイントを見つける
- 被写体がいちばん輝く撮り方を考えれば、必然的にいい構図に仕上がる
- 趣味写真であれば構図絶対主義にならなくていい(自由でOK)
- セオリーも大切だけど、自分の感性に従って撮るのも大事
- 構図の知識はあって損はないが、それに縛られすぎてはいけない
という具合か。
構図至上主義で撮り進めるのではなく、被写体のことを中心に考えてカメラを向ければ自ずと納得いく素晴らしい写真になるであろう。
最後までご覧いただきありがとうございました。