(記事作成2022.7.12更新2022.8.11)
- 写真を印刷する必要ある?
- Googleフォトにぶち込んで満足しているけど、ダメかな??
このような疑問にお答えします。
今回の記事は「写真を印刷して飾る大切さ」について語らせていただきますので、どうぞご覧ください。
写真を印刷して部屋に飾る重要性について
カメラの楽しみ方は人それぞれだけど、せっかく撮った写真を誰の目にも触れさせないでおくのは非常にもったいない事。
「印刷して飾る大切さ」を一緒に考えてみましょう。
人の目に触れさせてナンボ
どれだけ初心者でも、自分の中で「これは上手に撮れた!!」という渾身の1枚はあるだろう。
そういったお気に入りの1枚を印刷せずに眠らせたままだと、写真は「ただの映像データ」という無機質の域を脱せないまま一生を終えることになる。
撮って満足する楽しみ方もあるが、どうせなら最高な写真はどんどん表にだして人の目に触れさせてこそ本来の魅力が発揮できると思う。
死後に才能が発掘されたアマチュア写真家
アメリカのアマチュア写真家「ヴィヴィアン・マイヤー」は、生前に15万枚も撮っていながらただの1枚も公表せずに亡くなった謎に満ちた女性。
死後に大量のネガが発見されたことで作品が世界に拡散され、現在では書籍化・ドキュメンタリー映画化された。
彼女がなぜ印刷もせずに撮り溜めていたのかは定かではない。
もし、生前に印刷していれば、写真家として世界的に名を馳せたことだろう。
(公開しなかったのは社会に心を閉ざす性格もあったけどね)
本人がどんなに納得し写真に対しての思想の着地点を定めていたとしても、最高の写真も誰の目にも触れさせないとただの紙切れになってしまう、という最たる例だと思う。
個人の趣味であっても印刷すべき
撮影した本人やその家族・まったくの赤の他人に見てもらうことでようやく「写真」になる。
SDカード・Google、Amazonフォトに突っ込むだけでは「写真」ではなく「ただのデジタルデータ」だ。
なにもコンテストや出版社に売り込めと言ってるのではない。
せめて印刷してあげることで無機質な「デジタルデータ」から温かみを感じさせる「写真」へと生まれ変わらせてあげたほうが良いのではないだろうか。
納得した1枚は目の保養になる
自分が納得した最高の1枚は、いつ見ても時間が経っても飽きることはない。
ぼくは玄関にも写真を飾っているのだが、家を出るときに写真が視界に入るとそれだけでも晴れやかな気分になる。
「これは上手く撮れたぞ!!!」
という自信作は欠かさず印刷しているので、自宅は写真に満ち満ちている。
壁に穴を開けるのがNGアパートでは写真立てに収めたり、コルクボードに貼る方法もあるので、オリジナルに装飾するのもおもしろいだろう。
写真サイズはKG(はがき)で印刷
写真の大きさはKGサイズにしている(大きくても2Lまで)
L版は意外と小さいので、1m離れた場所からでも見やすいKGサイズがぼくのお気に入りだ。
ちなみに、カメラのキタムラで印刷しています。
自分で印刷すればこだわりの1枚に!!
自宅のプリンターでも気軽に写真を創ることができる。
使う用紙(マット紙・光沢紙・アート紙)によって様々な表情を魅せてくれるので、世界にひとつだけの写真を生み出す楽しみもあるだろう。
ただ、ぼくも最初の頃はやっていたけど最近はカメラのキタムラに一括印刷している。。。
それでも印刷は面倒くさい・・・
やっぱり印刷は気乗りがしないっていう人は、ブログやSNSに投稿してみてはいかがだろうか。
たとえ独りよがりな個人の趣味でさえも、どこかの誰かはあなたの写真を好いてくれるかもしれない。
あまりにも自分の殻に閉じこもりすぎて閉鎖的になるのは、ちょっと勿体ないかなと思う。
渾身の一枚のみを公開しているけど、見せる相手によって相手の反応が違うのでそれがまたおもしろい。
ヴィヴィアン・マイヤーのように孤高を突きつめるのも最高に格好いいけど、アマチュアであっても自分が撮った写真を晒けだす覚悟はあっても良いと思う。
まとめ
今回のことをまとめると、
- 人の目に触れることで、無機質なデータから温かみがある写真へと昇華する
- 写真は誰も見てくれないと、傑作でもただの紙切れにすぎない
- 印刷して自宅に飾ると、一気に華やかになる
- 印刷が面倒なら、せめてSNSやブログに投稿してみよう
という具合か。
写真は人に見てもらうことでますます輝き、生き生きとした作品へと生まれ変わる。
人生に今まで以上の「彩」を加えてみませんか。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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