(記事作成2022.7.8更新2022.7.30)
ぼくはスナップ・風景写真を、自分の中で基幹としているテーマに沿って撮るようにしている。
テーマが決まっていると「何をどうやって撮るか」がスムーズになったので、この場でガッツリ語らせて頂きます。
写真を撮るうえで重要なテーマ選定について
ただ適当に撮っただけでは理想的な写真にならず、段々つまらなくなって飽きてしまう。
せっかく見つけた趣味なのに、些細なことで放り投げるのはとても勿体ないことだ。
そうならないためにも、自分の中でテーマを決めて写真の方向性を示しておくべきだと思う。
以下、ぼくが実践している方法だ。
作風は自分の性格から導き出す
まずは、自分の性格や好みからどんな写真を撮りたいかを考えた。
ぼくの場合は、
- 明るい場所より静かなエリアが好き
- 物寂しげに佇む静物に惹かれる
- 最先端のものより親しんだものを長く使いたい
- 他人の視線は気にしない
などなど。
性格的にワイワイキャッキャしたものや、Instagramに投稿されている楽しそうな写真は自分には撮れそうにないと思った。
こういったことから、
- 閑寂枯淡な雰囲気で落ち着いたもの
- どこか憂いを帯びて哀しげなもの
- 懐かしさの中に温かみがあるもの
- 他人が撮らなそうなもの
を自分のベースとして写真に臨むことにした。
自分の好みや性格に合った対象物でないと撮る意欲は湧き上がらない。意欲が湧かないと写真がつまらない。
この負のループにはまらないためにも「自分は何が好きなのか?」を抽出することが大切だと思う。
撮影テクニックだけに熱心にならず、自分の内面を見つめ感性に従う。
これができれば写真を趣味として長く続けられるだろう。
テーマに沿って素材(被写体)を探す
自分の性格を把握したら、あとは被写体を探しに行動するだけ。
ぼくの場合は先ほどの
- 閑寂枯淡な雰囲気で落ち着いたもの
- どこか憂いを帯びて哀しげなもの
- 懐かしさの中に温かみがあるもの
- 他人が撮らなそうなもの
に沿って、心のままに撮っていた。
「他人が撮らなそうなもの」に関していえば、街中に捨てられている遺失物やゴミの写真を撮っている。
「なんでこんな所にあるの??」
「君はどこから来たの?」
という意外性や、撮り方次第でゴミが写真に生まれ変わる過程に魅力を感じている。
誰かに認められようとか、コンテストに応募して賞を取ろうとは思っていないので、完全に趣味の世界だ。
設定したテーマに沿って街にくりだすと、被写体となる対象物に自然と目が向くようになった。
完全に「写真脳」になることで視点や行動が厳選され、最高の瞬間に出会う確率をグッと高められたと思う。
もし、一日中歩きまわっても撮れ高が薄いのであれば、テーマ設定に不備があるのかもしれない。
(もちろん、ただ単に運が悪かった場合もある)
「自分の性格にあったもの」「自分の感性に響いたもの」しか撮れないし、「なんとなく映えそうだから」という理由で撮っていても楽しくないだろう。
プロであれば不本意でも相手の要求に応える必要もあるが、趣味の世界なら、まずは自分の好きな方向性のみを精一杯楽しめば良いと思う。
自宅にも素材はたくさんある
外の世界だけではなく自宅にもテーマとなり得るものはある。
たとえば、
- 我が子の天使のような笑顔を集めた作品を作りたい
- ペットとの絆や愛らしさを写したい
- 観葉植物の一年を記録したい
など、ちょっとした動機があれば世界に一つしかない作品集を作ることができる。
それらをどう撮るかはそれぞれだが、まずは基幹となるテーマが決まれば撮影方法は自ずと絞られてくるはずだ。
ぼくの場合は、生家の祖父母が元気なうちにたくさんの思い出の写真を撮っていた。
一緒に笑ったり料理を作ったりしたときの思い出を記録し、2人の元気な姿を後世に残したいというのが動機だ。
テーマに沿って、祖父母の日常(団らん中、新聞を読んでいる姿、運転している横顔、畑での作業風景など)を、事細かにカメラに収めた。
もちろん、プライベートな部分は家族であっても立ち入らなかったが、2人で居るときや雑談中などお互いの素の部分が出るときの場面を切り取った。
撮り終えたあと祖父は亡くなったが、ともに過ごした日常は記録され、これからの生きる糧となっている。
まとめ
ここまでの事をまとめると、
- 自分の性格や好きなものを振り返る
- 自分の感性に任せて、思うがままに撮ってみる
- 身近にいる大切な存在に気付く(被写体は街にも家にもある)
という具合。
あくまでもぼくの方法を語ったけど、少しでも参考になれば幸いだ。
最後までご覧いただきありがとうございました。